はじめに:歴史的転換点に立つ中小企業
前回(第6回)のコラムでは、日本の中小企業における「後継者不在率62.60%」という衝撃的なデータについて触れました。多くの経営者が未来の舵取り役を決められずにいる中、今、私たちは単なる「人の入れ替え」を超えた、より大きな歴史的転換点に立っています。その中心にあるのは、経営者の高齢化という「人口動態の壁」と、AI(人工知能)技術の爆発的な普及という「技術革新の波」の衝突です。
この荒波を乗り越え、次世代にバトンを繋ぐためには、従来の「事業を守るための承継」という発想を捨てなければなりません。今求められているのは、単なる経営権の譲渡に留まらない、劇的な「人的新陳代謝」を伴う「進化」のプロセスです。本稿では、AIやDXといった最新技術が、事業承継という難題をいかに「成長のチャンス」へと変えるのか、具体的な事例を交えて探っていきます。
1. 迫り来る「2025年・2026年問題」と成功体験の罠
中小企業庁の「中小企業白書(2025年版)」によれば、社長の平均年齢は2024年時点で60.7歳と、34年連続で過去最高を更新し続けています。特に「団塊の世代」が後期高齢者となり、「団塊ジュニア」世代が経営の中核を担う現在、日本の経営層の年齢構成はかつてないほど高い層に集中しています。
ここで警鐘を鳴らさなければならないのは、単なる健康リスクによる廃業だけではありません。白書は、経営者の高齢化が「設備投資や技術導入への意欲減退」を招いている点についても強く指摘しています。長年会社を支えてきた「過去の成功体験」は、劇的なデジタル化が進む現代社会において、皮肉にも変化を阻む厚い壁となってしまうリスクを孕んでいるのです。
事業承継を「まだ現役でいられるから」と先延ばしにすることは、AI革命という荒波の中で、自社をアップデートする機会を損失していることに他なりません。
2. 「勘と経験」を組織の資産へ――AIが繋ぐ伝統技術のバトン
「AIは自社には関係ない」「職人の技術は機械には代えられない」――そう考える経営者の方も多いかもしれません。しかし、AIは後継者不足に悩む企業にとって、むしろ伝統を守るための「救世主」になり得ます。
その象徴的な成功例が、岩手県で南部鉄器の製造を行う「タヤマスタジオ」です 。伝統工芸の世界では、技術の承継は長年の「修行」と「勘」に頼るのが常識でした。しかし、同社は熟練職人の細かな動きや判断基準をデータ化し、AIによる解析を行いました。その結果、若手職人への技術伝達スピードを飛躍的に向上させることに成功したのです。
これは、これまで特定の個人に依存していた「属人的な技術」を、会社全体の「組織的な資産」へと変換したことを意味します。第1回のコラムで述べた「経営者の想い(魂)」を継承するために、AIという最新の武器を使って「羅針盤」をデジタル化する。こうした「伝統をアップデートする」姿勢こそが、アナログな手法に固執して淘汰されるリスクを回避する唯一の道といえるでしょう。
3. 「身の丈DX」がもたらす若手人材の確保と生産性向上
「AI導入はハードルが高い」と尻込みしてしまう企業に対して、白書では無理のない範囲で進める「身の丈DX」の重要性を説いています。
熊本県の株式会社倉岡紙工の事例は、非常に示唆に富んでいます 。同社は限られたリソースの中で、現場の課題を特定し、デジタルツールを導入する「身の丈DX」を実践しました。これにより業務効率を高め、若手社員がルーチンワークではなく、より付加価値の高い、創造的な仕事に集中できる環境を整えたのです。
この取り組みの真価は、生産性向上だけではありません。デジタル技術を積極的に活用する姿勢は、最新技術に触れながら成長したいと願う「優秀な若手人材」を引き寄せる強力な磁石となります。第6回で懸念した「後継者不足」や「人材難」を解決する鍵は、若者が「この会社なら自分の力を発揮できる」と思えるような、経営環境のデジタル・アップデートにあるのです。
4. 経営感覚のアップデート――「引退」を「攻めの投資」へ
事業承継において最も重要な本質は、資産や株式の譲渡そのものではありません。それは、組織全体の「経営感覚をアップデートすること」にあります。
今、求められているのは「人的な新陳代謝」です 。先代経営者が持つ深い「業界知識」や「顧客との信頼関係」を、AIネイティブな世代へと早期に引き継ぐこと。そして、後継者がAIという武器を手に、先代が築き上げた土台(存在意義)を新しい時代の価値観で「再定義」することです。これが、第2回で提唱した「第二の創業」としての事業承継の具体的な姿です 。
経営者にとって「まだ現役でいられる」という自信は、時にリスクとなります。AI革命という未知の領域を前に、事業承継を「余生の準備」ではなく、「企業が次の10年、20年を生き抜くための攻めの投資」と捉え直す勇気が必要です。
結びに:次世代への最高の贈り物は「未来への切符」
本コラムシリーズを通じてお伝えしてきた通り、事業承継は「想い」の継承から始まり、戦略の再構築、税務の裏付け、そして今回の「技術による進化」へと繋がっています。
AIは人の仕事を奪うものではなく、経営者の「想い」をデータとして刻み、後継者がより高く飛ぶための「翼」となるものです。後継者不在率が高まる今だからこそ、最新技術を味方につけ、若者が憧れるような魅力的な企業へと変貌を遂げることが、先代経営者が次世代に残せる最高の贈り物ではないでしょうか。
事業承継を「存続」のための守りの作業で終わらせてはいけません。AIという強力な推進力を得て、企業の「進化」を加速させる。その決断こそが、日本の中小企業の新しい夜明けを創り出すのです。(KML)
引用・参考資料:
中小企業庁「2025年版 中小企業白書」
帝国データバンク「全国社長平均年齢分析(2024年)」
経済産業省「中堅・中小企業等におけるDX取組事例集」
東京商工リサーチ「2025年 後継者不在率調査」