事業承継というと、「株式の引継ぎ」や「税務対策」といった資産や数字の話に終始しがちです。しかし、会社が持つ最大の資産、そして未来を創る推進力は、「人」です。
長きにわたり会社を支えてきた「従業員の想い」や「組織の士気」を、どう新しい経営体制に円滑に引き継ぐか・・・この「労務の視点」こそが、事業承継を成功させ、企業を「永続」させるための鍵となります。
「第二の創業」ともいえる承継プロセスにおいて、従業員が不安なく、むしろ新しい未来に期待を抱けるように導くための、具体的な労務戦略の心得を解説します。
従業員の「不安」を取り除く:承継初期のコミュニケーション戦略
経営者が交代する、あるいは会社の所有構造が変わることは、従業員にとって「自分の雇用や待遇はどうなるのか?」という本能的な不安を引き起こします。この不安が放置されると、優秀な人材の流出や、社内の士気低下を招きかねません。
労務的な視点から、承継初期に最も重要なのは、「透明性の高い対話」と「早期の約束」です。
ビジョンの共有と「対話」の場:
現経営者と後継者が並び立ち、従業員に対し、なぜ承継が必要なのか、そして新しい経営体制で会社がどこに向かうのかという「経営理念(羅針盤)」と「未来のビジョン」を明確に伝える場を設けます。質疑応答の時間を設け、不安を吸い上げる双方向の対話が重要です。
労働条件の「保証」:
雇用契約書や就業規則上の変更がないこと、給与体系や退職金制度の基本的な方針が変わらないことを、経営者の言葉で繰り返し約束します。特に重要なキーパーソンに対しては、個別の面談を通じて、長期的な役割と待遇について確認を行うことも検討すべきです。
従業員の「想い」を理解し、不安を解消するためのコミュニケーション戦略は、円滑な承継を裏付ける基盤となります。
「労務デューデリジェンス」で潜在リスクを顕在化させる
事業承継の準備を進める際、財務・税務のデューデリジェンス(DD)は当然行いますが、「労務DD」も同等に重要です。これは、現行の労務管理体制が抱える潜在的なリスクを事前に洗い出し、後継者が安心して経営を引き継げるようにするための必須のプロセスです。
労務DDで確認すべき主なリスク例
未払い残業代リスク:
固定残業代制度や変形労働時間制の運用に不備がないか、サービス残業の常態化がないかを確認し、リスクがある場合は承継前に精算・解消します。
ハラスメント・トラブル:
過去の労使トラブルやハラスメントの事例がないか、内部通報窓口が機能しているかなど、組織風土に関わる問題も把握します。
就業規則の不備:
会社の現状や法改正に対応した就業規則になっているか確認し、リスク防止のための整備を行います。
これらのリスクを承継後に放置すると、後継者の経営初期に予期せぬ大きな負担となり、新しい事業戦略の実行を妨げる要因になりかねません。
人材が輝く「評価・育成システム」の再構築
事業承継は、「第二の創業」です。これを機に、後継者のビジョンに合わせて、組織全体を最適化する必要があります。特に労務面では、従業員が「新しい会社で成長したい」と思えるような、評価制度と育成システムの再構築が求められます。
ビジョン連動型の評価制度:
新しい経営理念や事業戦略に連動した評価項目を導入し、従業員のモチベーションを将来の目標達成に結びつけます。年功序列から役割や成果を重視する制度への移行も、検討の余地があります。
次世代リーダーの育成:
後継者だけでなく、その下を支える「次世代リーダー候補」を早期に選定し、戦略的な育成プランをスタートさせます。これにより、属人化を防ぎ、組織全体での持続的な成長を可能にします。
健康経営の推進:
従業員が長く、健康的に働ける環境を整えることは、企業の生産性向上とリスク管理に直結します。健康診断の徹底やメンタルヘルス対策など、ESGの視点を取り入れた労務管理が重要です。
まとめ~労務は未来への「人財投資」
事業承継における労務戦略は、単なる法令遵守の確認ではありません。それは、「経営者の想い」を体現する従業員という「人財」が、新しい経営体制の下で最大限に力を発揮し、企業を「永続」へと導くための「未来への投資」です。
後継者が不安なく、新しい時代の波に乗って事業を拡大していくためにも、現経営者の皆様には、「労務リスクの解消」と「次世代に活きる組織作り」という、最後のバトンを渡していただきたいと願っています。(KM)