日本経済の屋台骨を支え、地域の雇用と活力を生み出してきた中小企業。その数は全企業数の99%以上を占め、私たちの生活に欠かせない存在です。しかし今、その基盤が静かに、しかし確実に揺らいでいます。
経済産業省が公表した「2025年版 中小企業白書」における「開業、倒産・休廃業」のデータは、経済の新陳代謝という側面だけでは片付けられない、深刻な現実を私たちに突きつけています。
本稿では、この最新データ、特に「休廃業」の動向に着目し、日本が直面する「事業承継の現状」について深く掘り下げて考察します。
データが語る「静かな退出」の現実
白書によれば、休廃業・解散件数は近年減少傾向にありましたが、2023年に増加に転じ、2024年には約7万件に達しました。これは、単純な倒産(2024年:約1万件)とは異なり、経営者が自らの意思で事業を畳むことを選択したケースが、その7倍も存在することを示しています。
この「静かな退出」の背景には、何があるのでしょうか。白書のデータは、その核心に迫る3つの重要な事実を示しています。
1. 経営者の「高齢化」というタイムリミット
第一に、休廃業を選択した経営者の年齢構成です。データ(第1-1-66図)を見ると、「70代」および「80代以上」の割合が2016年と比較して増加しており、経営者の「平均年齢」も「ピーク年齢」も共に上昇傾向にあります。
これは、多くの経営者が引退の適齢期を迎え、あるいはすでに超えているにもかかわらず、事業のバトンを渡す相手が見つからないまま経営の第一線に立ち続けている実態を浮き彫りにしています。体力や気力の限界を迎え、後継者不在のまま、やむを得ず事業を閉じるという苦渋の決断が、休廃業件数の増加に直結しているのです。
2. 「黒字廃業」という日本経済の大きな損失
第二に、最も衝撃的な事実は、休廃業企業の損益状況です。2024年において、休廃業・解散に至った企業のうち、実に51.1%が「黒字」であった(第1-1-64図)ことが示されています。
「黒字」であるということは、その事業が顧客に支持され、社会的な価値を生み出し、収益を上げる力を持っていることを意味します。従業員の雇用を守り、取引先との関係を維持し、地域経済に貢献している優良な企業が、経営難ではなく、ひとえに「後継者がいない」という理由だけで市場から姿を消しているのです。
これは、単なる一企業の廃業に留まりません。長年培われてきた独自の技術、受け継がれるべきノウハウ、顧客との信頼関係といった、カネでは測れない「見えざる資産」が、誰にも引き継がれることなく失われていることを意味します。年間数万件規模で発生する「黒字廃業」は、日本経済にとって計り知れない損失です。
3. 苦境に立たされる「小規模事業者」
第三に、休廃業の構造的な問題です。休廃業・解散企業数に占める「小規模事業者」の割合は、一貫して9割を超えています(第1-1-63図)。
さらに深刻なのは、その損益状況です。中規模企業では「黒字」での休廃業が再び過半数となっているのに対し、小規模事業者においては「赤字」の状態で休廃業に至る割合が2023年に半数を超え、2024年もその傾向が続いています(第1-1-65図)。
これは、物価高や人手不足といった厳しい経営環境(白書では倒産要因としても指摘)に加え、経営者の高齢化と後継者不在問題が重くのしかかっていることを示唆しています。事業承継の準備や、事業を磨き上げて次世代に渡すための投資(DX化や新事業開発など)にリソースを割く余裕がなく、経営環境の変化に対応しきれないまま赤字に転落し、廃業を選択せざるを得ない。そんな小規模事業者の苦しい姿が透けて見えます。
なぜ「価値ある事業」は承継されないのか
「黒字なのになぜ廃業を?」と疑問に思うかもしれません。しかし、事業承継の現場には、統計データだけでは見えにくい、複雑な背景が存在します。
1. 親族内承継の減少と意識の変化
かつて事業承継の主流は、経営者の子供が家業を継ぐ「親族内承継」でした。しかし、職業選択の自由が当たり前となった現代において、親が子に家業を継ぐことを強制する風潮は薄れました。また、経営の厳しさや個人保証の重圧を目の当たりにしてきた子供自身が、承継を望まないケースも増えています。
2. M&A(第三者承継)への心理的・物理的ハードル
親族内に後継者がいなければ、従業員や第三者への承継(M&A)が選択肢となります。しかし、特に高齢の経営者にとって、自分が一代で築き上げた、あるいは先代から受け継いだ会社を「売る」ことへの心理的抵抗感は根強く残っています。
また、小規模事業者の場合、事業が経営者個人のスキルや人脈に大きく依存している「属人性」の高さがネックとなります。買い手から見れば、経営者がいなくなれば事業価値が大きく損なわれるリスクがあり、M&Aの対象として評価しにくいのです。適切な買い手を見つけるためのマッチング機能(仲介プラットフォームなど)も、特に小規模な案件ではまだ十分とは言えません。
3. 「まだ早い」という準備の遅れ
最大の課題は、事業承継に向けた準備の遅れです。「自分はまだ元気だ」「引退はまだ先のこと」と考えているうちに、最適なタイミングを逃してしまうケースが後を絶ちません。事業承継は、後継者の選定・育成、株式の移転、事業の「磨き上げ」(属人性の排除や強みの可視化)など、最低でも5年、長ければ10年かかると言われています。経営者が70代、80代になってから慌てて準備を始めても、体力的な問題や、事業環境の変化により、円滑な承継が困難になるのです。
事業承継の停滞がもたらす未来
もし、この「黒字廃業」と「高齢化による休廃業」の流れを止められなければ、日本社会はどのような未来を迎えるのでしょうか。
第一に、地域経済の深刻な衰退です。休廃業の9割を占める小規模事業者は、その多くが地域密着型のビジネスを展開し、地域の雇用と生活インフラを支えています。彼らが廃業すれば、地域の商店街から灯が消え、雇用が失われ、地域コミュニティそのものの維持が困難になります。
第二に、サプライチェーンの断絶と国際競争力の低下です。たとえ小規模であっても、特定の部品や加工技術で高いシェアを持つ「ニッチトップ」企業は少なくありません。そうした企業が黒字廃業すれば、その技術に依存していた大手メーカーの生産ラインが止まり、日本の製造業全体のサプライチェーンが寸断されるリスクがあります。
結論:未来への「バトン」を社会全体でつなぐ
2025年版中小企業白書が示す、年間約7万件の休廃業、そしてその半数を占める黒字廃業という現実は、日本経済が発する静かな、しかし深刻な「SOS」に他なりません。
この問題を解決するために、私たちは何をすべきでしょうか。
まず、経営者自身の意識改革が不可欠です。事業承継を「引退後の処理」ではなく、事業の価値を未来永劫つなぐための「最も重要な経営戦略」と位置づけ、元気なうちから早期に着手することが求められます。親族内にこだわらず、従業員承継やM&Aを「事業と従業員を守るための前向きな選択肢」として柔軟に検討する勇気が必要です。
そして、社会全体での支援体制の強化が急務です。国や自治体、金融機関、商工会議所などは、事業承継の「入口」(意識啓発)から「出口」(M&Aマッチング、税制優遇)まで、シームレスな支援を提供しなければなりません。特に、休廃業の大多数を占める小規模事業者に寄り添い、彼らの属人性の高い事業でも円滑に引き継げるような、きめ細やかなサポート体制の構築が求められます。
失われつつある技術、ノウハウ、そして地域からの信頼。これら貴重な経営資源を次世代に引き継ぐことは、もはや個々の企業努力だけに委ねられる問題ではありません。日本全体の持続的な成長を左右する喫緊の国民的課題として、社会全体で事業承継を後押しする強い意志が、今まさに問われています。(KML)